クロード・シモン「フランドルへの道」を読みながら浮かぶSWOその他

徹底したニヒリズム。コツコツと鳴る音は時間感覚を狂わせる。
雨の音。パラパラと。次第に雨粒ひとつひとつの音は聞こえなくなり、ただ、非断続的なホワイトノイズ。
その連続性、一様性は別極の沈黙の様な「目にも見えず、非物質的ではじめも終わりも無い、目印も無い時間の流れそのもの」←それが個々の選ぶサイン波によって成り立っているという事。
個人がその中でどう抗おうとも、その一様性の中に飲まれてしまう。

そしてそのぽっかりと浮いた時間の中に自分があるということ。目は何も見ず、耳は何も聞かず、爆音の沈黙の中。

その瞬間、瞬間のスナップショット(という言い方は冗長、スナップショットは瞬間)。印象。貴重なその「瞬間」の印象。

うん、それはロードームービーというか、疲れ果てた末の断片化された記憶、というよりもその瞬間瞬間そのもので。
ともすれば、「それ」をしたことさえ、次の今には忘れていて、何度もその瞬間を繰り返してしまうのに似ている。

時間軸、というよりも、その瞬間瞬間をとらえる事。