2/27 Presentation35 duo pieces at shin-bi とテキストベース言語のロマンティシズム

まだ、ちょっと先ですが。
shin-biのイベントにekran名義でrimaconaさんの映像で乱入いたします。

Presentation35 duo pieces

http://www.shin-bi.jp/modules/wordpress1/index.php?p=147

  • 2009年2月27日fri. 19:30open 20:00start
  • Adv.2000円 Door.2500円
  • Duo Recio-Garcia
    • Lucia Recio ルシア・レシオ(voice)
    • Xavier Garcia グザヴィエ・ガルシア(sampler)
  • rimacona + ekran
    • 柳本奈都子(vocal)
    • 原摩利彦(composition and piano)

昨日は、そのイベントに向けてアンデパンダンでキックオフ。
ekranは去年の夏くらい(もうそんなに前だ。。。)から始めた新しいユニットで、そもそも元はAD&A galleryでのMax/MSP, Jitter workshop(http://adanda.jp/workshop/maxmsp/)の受講者を中心にちょっと面白い事やろうぜ的に始めたもの。主にクラブイベントだったりで空間演出だったりデコレーションだったり映像だったりを中心にやっていこうとしている。その派生でアートっぽくもなったりするわけだけど。作品、として形にしよう、というよりはもっとスケッチワーク的な色合いが強い。
そういうものなので、なにかやろうとした時には、ワークショップ形態でなにか試しつつという感じ。今回は、今をときめくopenFrameworks(とProcessing)をメインに使おうかな、と。まだ、あんまり使える人が少ない分、これでみんながりがり使えるようになってくれたりするとちょっと面白い。学校みたいな機関で教えていくのではなく、こういうインディペンデントなスタンスで面白そうだからみんな使えるようになりました、とかちょっと鮮やかじゃない?(笑
とはいえ、目指す方向もちろんそういうとこではない。結構、明確に見えてきている。ここ数ヶ月というか、ekranを始めてからは何かをやった時にその手応えみたいのがはっきりと感じられていて充実してる。自分だけでやろうとした時には、形態の新しさ、構造の新しさみたいなとこを志向してしまうのだけれど、こういうユニットを通すことでそこはぼやけて、むしろ、それで「何を」するのか、っていうとこの方が重要になってくる。というか、それがこれまでないがしろになってただけで、ようやくバランスがとれてきてるんだと思うんだけど。

と、それはそれでぜひ本番でその成果を観て下さい、としか言えない。し、むしろ、そうとしか言いたくない。


それはそれでー、

僕が映像をやるのにメインでこれまで使っていたのはJitterなのだけれど、最近、使えば使うほどその限界の様なものを強く感じている。良くも悪くも感覚的な環境で、パーティクルとかそういう集合的なものを集合の状態でバーンとやる、みたいなことはすぐにできちゃうんだけど、その一粒一粒をちゃんとコントロールできない。なんとなく、オブジェクトをつなげていってその偶然の中から「あ、これいいじゃん」みたいな風に見つけ出していく感じ。それに対してProcessingであれば、もっと確信的に何かを志向できる。
Jitter(とMax/MSP)はシステムを組むのにはすごく適していて、安定しているしその構造も分かりやすい(ように作んなきゃいけないけど)。マルチスクリーンとか、音、センサーでのインタラクションなんてのもお手軽。適材適所、ってことすね。コンテンツを作るにはちょっと弱い。


打ち合わせの中で、webから拾ってきたサンプルのプログラムをベースに、「このままだとつまんないから、ここは無くしてこれを足して」みたいな風に改造していく普段一晩でやっていくような作業をリアルタイムで実演。その中でしゃべりながら我ながら面白い事言ったなー、と思った事で「このドットの気分になる」「変数に感情移入する」「プログラムを文脈で読む」(笑)なんてのがあるんだけど、今、その言葉を書いて改めて見た時にそのキてる感じ思わず(笑)をつけてしまうけど、案外、普段からこれは無意識の内にそうしてるんだよね。プログラミングであっても、対象は言語。読解力とか表現力は問われるのです。
こういう説明はJitterでは出来ない。Processingだったりのテキストベースのプログラミング言語の場合は、変数というのがしっかり定義されたものとして読む事ができる。オブジェクトも実際にオブジェクト(物体)として認識できる(ように書かなきゃいけないんだけど)。ちゃんとそれぞれに変数「名」という「名前」がつけられるというのが大きな違いなんだろうな。アイデンティティをちゃんと持っている、というか。グローバルに持たせた配列のその一つ一つの箱は明確に一つ一つの箱としてそこにある。
Jitterの場合にはオブジェクトは、オブジェクト(物体)というよりは処理の固まり - サブルーチンなんだよね。マクロ的、というか。テキストベース言語の変数に対して、その外見に反してもっと概念的。上の言い方をすれば感情移入する先はそのオブジェクトではなくて、そこに流れていく数値でなくてはならなくて、その数値が処理されていく中でどういう風にアイデンティティを獲得していくか、というドラマが問題にならなきゃいけないはず。その数値が実体を持たないわけですよ、Jitterだと。


Java(に限らずテキストベースのOOP言語)は世界を記述する - 決して処理を書くわけではなく、あくまでもそのオブジェクト同士の関係性を明確に描き出していく、文章で描写していく作業。対してJitter、Max/MSPのプログラムは処理、どういう処理をさせていくか、というむしろ手続き型、なわけだ。

ああ、テキストベースのOOP言語ってロマンチック!!(笑