近況

あまりにも放っておいてしまったのでちょっと書きます。今から過去へさかのぼり。
無印でゴーヤチップスが売っていたので、あーゴーヤ食べたいと思って買ったらまずい上におなかを壊して20:00頃から2時間沈む。
朝、猫が妙に鳴くので何かと思ったら部屋の中に蛇が!! アオダイショウでもなく、妙に小さい上に頭が三角形でやばいんじゃないか、こいつは、とおもいつつ外に投げる。恩返しを期待しながら。昼過ぎに掃除していたら抜け殻が見つかる。。。


今年のmetamoのwebがあがっていた。すげー見たい。すげー行きたい。Vjも再開したので是非また参加したい。けども、そのときは怒濤のThe SINE WAVE ORCHESTRAツアーで国外なのが悲しい。
だんだんとmetamoの雰囲気が変わってきてるなーと思う。バッキバキミニマル大会だったのが、最近はだいぶロック色が強くなってきたのは時代の流れか。それでも呼んでくれるメンツがほかのfesと比べても結構つぼ。


親知らずを抜く。YCAMに行ったあたりからずっと痛くて、そのために飲んでた痛み止めで泥酔。ひさびさにフィードバーーーーーック。


YCAMにexonemoのWorld Bを見に行く。新作Object Bがかなりつぼ。ちょうどウィリアムギブソンの3部作を読み終えた後だったので、あの機械の不器用な感じ、「物々しさ」、そしてその象徴する存在。象徴性とものとのバランス、そしてそれらの落とし込みとかなり完璧。すごくいい。exonemo自身のガイドツアーの後、一人戻ってしばらくたたずむ。監視員の方との間が気まずい。
これまでexonemoの作品っていうと、ネットと単に遊んでいる(と、書いてしまうとあれなんですが印象として)ようなイメージがあったんですが、今回のObject Bでは、最近のコンピュータ内から外へという動き - 単純に身体性というのではなく、コンピュータを使えば映像だったりとかっていうのは、もうどうにでもなっちゃうんだよ、という前提からその次のレベルへという動き - 畠中さんが最近特に取り上げている部分、というよりもジェネラルにそういう動きなのかもしれないけれど - その中でもやっぱり畠中さんのやってることっていうのはそれを定義づけるっていうか、ちゃんと動きとして取り上げているっていうことなのかな - New "Sonic" Performance - not music but sonic - と(とこういう書き方をしてるとこの「と」がどこにかかってくるのか書いてる本人しかわかんなくなってくる)もかぶってくる部分 - bendingもその中で非常に意味を持ってると思う - だと思い、その辺りの「今」性と、そのコンセプチャルな部分 - コントローラの後ろには神が居る - とが完璧に絡み合ってる。
イメージが全部ちゃんと一致してる。使い古されたような、機械にひたすらたたかれ続けキートップがすり減ったキーボード、クリック部分がえぐれたマウス。ランダム性に神は宿る。Winter mute。冬寂。


そのあたりの象徴性、宗教っぽさ(というと誤解を招きそうだけど)っていうのはずっと考えてる - Object指向言語で世界は描ける - んだけど、どのあたりの裏付けが重要なんだろう。そういう部分だと、当然のように三輪さんの作品なんかも頭に浮かぶ。どういう部分でその裏付けが必然性をもってくるのか。ランダムで動いているだけのものが神性を感じさせたりする。規則によって動かされている人間の儀式性からも別の神性は浮かぶ。

プログラム言語で神話が書きたい。
Javaなんかの自己記述性の高さ - 世界を描くことができる。Java言語によってJavaの世界は記述できるということ。 - プログラミングを面白いと思った瞬間だったし、それによって引き込まれた部分もある。

プログラム言語が理解できるようになってくるとプログラムは3次元を超えて頭の中に表現される。
具体的にどういう形なのかは正直なとこうまく表現できない。人の顔を思い出そうとするのに似ていて、全体に焦点がどうやってもあわずに、そのときそのときに取り組んでいる部分にのみフォーカスがあたっている。イメージの上では明確に形が浮かんでいるものの、それを絵で表そうとするとはたとかけないことに気づく。キュビズム的な絵になるのだろうか?多分、絵 - 2次元に表現できない - ないしは画力が普通に要求されるのだろう。 - 3次元をキュビズム的に2次元へと展開する作業。

UMLだと結局そのルールがわからないとわかりづらいというか、それを学んで解読するのならソースコードをそのまま読んだ方が結局理解できるし、わかりやすかったりもする。まあ、この辺は慣れなのかもしれないけれど - はじめはMaxもパッチをみても何がどうなってんか全然わかんなかったけど、今はそれをみてどういうことがしたかったのか、すぐにわかる。 - ロジックとして、というよりも図としてそのまま理解できる。 - どちらにせよ、あまりみていて面白い、かっこいいと思うものではないけれど。
すごくよく書かれたソースコードは美しい。多分にナルシスティックな感覚が伴うのだけれど。その感覚をそのまま絵、図で表すことができればいいのに。美しいコードは美しい図を描き出す。そしてそれが理解できること。

3次元を超えて表現されるプログラムコード。それはサイバーパンクで表現されるマトリックス - グリッドよりも既に複雑さを増している。そこでおもわずつなげたくなってくるのがプラトン立体、結晶体、幾何学模様。プログラム言語で曼荼羅を描くこと。限られた広さで世界が表現できること。
文章で読む限りはマトリックスも部分 - 自分が焦点を当てている部分のみがクリアで後はその情報量で霞んで見える。っていうか、正直なとこイメージが僕にはうまくわかない。だからそういう風にぼやけて見えるんだろうな。

その自己記述性の高さ - 主に想定しているのはオブジェクト指向の言語 - Java - はそれによって物語を描くことができるのではないかという想像へと飛躍する。それによって世界の成り立ちを記述できるのではないかと飛躍させる。

問題はプログラム言語って言うのは指示するための言語であって、その目的のために非常に洗練されているということ。なにかを描写するような冗長性は持っていない。実用にはその方がもちろんいいのだけれど - できるだけ同じ処理は同じ書き方しかできないように限定されているということ - そしてそれが最適化されていること。

プログラム言語ネイティブ(笑)であるところのAI、ないしはVMそのものっていうのはもっと的確に言葉を選ぶことができるのだろうか?
AIの場合はプログラム言語というか、機械語か。


sonarの嵐がすぎ、とうにsoftpadの面々も日本へ。詳細はdaito氏の日記にあるので、そちらを参照。補足として、彼のnot blog but diaryに私が「元」nato使いとありますが、まだ現役です。
どちらかというと、僕はエンジニア的な素質が強いかと思っていたんですが、daito氏からするとまだアーティストっぽいとか。いや、その前段階でqtの再生はいろいろと試してたんですよ。windowsmacの壁は厚い。glはどちらにしろ楽しい。高谷さんの手料理をごちそうになったりで楽しい。
http://daito.ws/


で、これからはLe Placard(プラカー)とThe SINE WAVE ORCHESTRAの嵐だ。トキメキの中、がんばります。って。