もう、ずいぶん前の話だけど、徐々にさかのぼってみる。

前田さんのshin-biでのパフォーマンス。
ライブ映像上映ってことで何が起こるのか - それが内容として面白いか面白くないかは別としてプロジェクタさえあればそれが映像作品となってしまうということ。構造の揺らぎ。
ライブ演奏も同様で、音がならなくてもそこに「演奏者」がいればライブになってしまうということ。ラップトップ世代としての論理の飛躍。ネガティブだけれどそこで構造があらわになる。

三島由紀夫「盗賊」を読みながら
なぜ、様々な可能性の中から、三島由紀夫はそれを選び出すのだろう? あれだけの確信を持ち、描写できるのだろう?

IAMAS展でのライブ終了。なんていうか、あれが気持ち良いってのはもう分かってて、
それ以上も無いし、それ以下も無い! いくらどびゃーって鳴らしたって規格内なのは自分でよくわかってる。

最近、自作系楽器であるとかハードウェアベンディングとか、そういうのを見る機会が多い。そこでいつも考えてしまうのは、これと同じ音をコンピュータでやっても面白くないよねって。
そこに「それ」があって、そして演奏する。そこではサウンドオリエンテッドな事ではなく、performance orientedなことが起こっている。そのバランスが結構良い。performance orientedな訳だけれど、サウンドがないがしろになっていない。
ライブ・パフォーマンスがパフォーマンスであること。ある種、演劇的な。


イメージビデオのような、台詞の無い映像。ただ単に綺麗なだけ。
何かもっと明確な意志を持ったものを作りたい。


そしてふと自分を見てみると、結局、明確な意志、なんてのは無くて


自分の演奏に関して、っていうかコンピュータミュージックに関して
確かにCPUの外側にでていく必要っていうのを痛感してる。もっと演劇性を取り入れて - ライブなんてのは手続きで、ステージというか演奏者が居て観客が居て、音楽が鳴る。観客は音楽を聞きにきてるつもりなんだけど、実際のとこはその環境も含めてそこでは音楽で - そして音が無くても、演奏者と観客がいて「何か」が行なわれていればそれは「音楽」になり得る。


OOPは世界を作る。 - 世界を描写できる。OOP言語を作ることは世界をひとつ作り上げることに他ならない - Javaのreflection。


Byrdsのギターがすごく気持ち良い。Eight Miles Highのギターソロとか聞く度に鳥肌が立つ。


っていうか、あれだ。90年代のコンピュータを使った音響系の動きが逆に特別サウンドオリエンテッドなんだ。いわゆるラップトップミュージックが。


The SINE WAVE ORCHESTRAに関して
そういう、ポスト=ミュージックっていうか、その音のありかた、社会的構造を揺らがすことのできる音楽の最左翼でありたい。極端でありたい。そして、音楽でありたい。というのは、やっぱり僕は音楽が好きだから、同じように音楽が好きな人とこの感覚を共有したいと思う。それもいわゆる普通の「音楽」とはあきらかに違った形で!


意見が変わってしまう、というか、多分頭の中にあることは同じなんだけど、その時その時でそれをどういえば伝わるのか、いろいろと試している。っていうのは、うまく伝わってない感じがするからで。自分でも自分の言いたいことがジャストで伝えられてると思えなくて、その時その時で最適な言い方を探している。実際に自分がどう思ってるのか調べてる。核心に対していろんな角度から明かりを当ててるつもりなわけだ。


外から見ても中から見ても。狙い - 目的は定めたい。それは一つの極限形があるという訳ではないんだけど、的がうまく定めきれていない。やってみなくちゃわかんない。でも、その前にコンセプトとずれが無いか、っていうか分かりやすく見えているかは考えられる - 予想できるんじゃないかと。

だいぶ前に書いたままアップせずにだらだらと放っておいたので、現状と変わってきてる部分もあるかも。