Electro Opera E- 得体が知れないということとか

Club transmedialeに行くも、来るかと思っていた人間は全く来ず。そんなわけで久々に酒をほとんど飲まずにまじめに音楽を聴く。
Electro Opera E-の演奏がすごく気持ち悪い。ラップトップと映像と、女性のオペラ歌手(?) and processing from Koreanだったんだけれども、女性の動きがすごくなんていうか、芝居がかっていて。
と思っていたのだけれど、しばらく観ているうちに、この得体の知れなさというか、何をしたいのだかわからないということにちょっと可能性を感じてしまう。前に人と話したことで、LFMSがなんなのか、という話ともかぶってくるんだけど、延々と音を垂れ流し続けるカオティックな演奏。単純に「駄目、面白くない」ともいってしまえるのだけれど、その得体の知れなさはなんなんだろう。

この晩はノイズナイト、ということでそういう得体の知れないものが多かった。Single Unitとか、Jazzkammerのどっちかだかが参加している Golden Serenadesというユニットは普通にノイズで、そっちの方がまだ分かりやすい。目指している先が分かるというか。

実際、そういう得体の知れないものは何か、僕の予想できない何かを目指しているのか、それとも何も目指していないのか。気分で音を選んでたりしてると(まあ、基本はそうなっちゃうんだけど、なんていうか、自分なりの美意識、とかって考えると、やっぱり結局気分なのか。一つ、大きな隔たりとして(自分として)あるのは、音の扱いに関してで少なくとも、自分でその音が必要なのかどうかは考える様になった。それが実際良いことなのか、それとも理由の無い純粋さを失ってしまったとも言えちゃうんだろうし、結果としてできりゃいいんだけど、その方法として判断力が非常に鈍る)意味無い、というか考える方がばからしいけれど、自分なりになんかカテゴライズしたいのか、僕は。と、だらだらと文章を繋げてみる。

もっとカオティックなものをカオティックとしてとらえたい。

そういえば、会場でerikと再会。今晩はplacardだ。